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急がず回れ

スピノザの思想

僕が最近好きな哲学者スピノザ(1632-1677 44歳没)からいくつか面白いと思った考え方を書いていきます。参考にしたのは東工大教授の國分さんが解説する100分で名著「エチカ」です。いきなりエチカを読んでもチンプンカンプンなのでNHKオンデマンドの動画と合わせて読むのがオススメ。

スピノザ『エチカ』 2018年12月 (100分 de 名著) | 國分 功一郎 |本 | 通販 | Amazon

以下箇条書き。

 

スピノザといえば汎神論。「神さまは無限である」

いきなり神さまが出てくると宗教チックでスピリチュアルな世界を想像してしまうけど、スピノザがいう神さまは違う。スピノザが言う神さまとは神話に登場するような存在ではなく、無限で自然そのものが神なんだということ。この神はどちらかというと宇宙に近いイメージで森羅万象全てが神である、全ては神に包まれているという考え方である。これを汎神論と呼んでいる。当時はキリスト教が絶対的権力を持っていたのでこの考えを唱えたスピノザはとても嫌われてしまった。

 

・完全/不完全の区別は存在しない。「不完全とは偏見。全ての個体は完全である。」

例えば屋根がついていない家を見ると不完全だ!ダメだ!と思ってしまうのは、完全な家は屋根が付いていて家とはこうあるべきだ!という思い込み=偏見があるからだよね?ということ。全ての個体に不完全という状態は無く、全ての個体はそれぞれ完全であるとスピノザは言っている。つまり神の中にあるこの世界には完全なものしか存在していない。この考えは素晴らしくて、例えば何かしらの理由で僕は不完全だと思ったとしても、スピノザ的に言えば神の中であるこの世界において僕は完全であり、堂々と生きていて良いということになる。(高慢になれというわけではないゾ)

 

・それ自体に善/悪は存在しない。「組み合わせてみると善い・悪い」

それ自体が善い、それ自体が悪いことは無いというのもスピノザの面白い考え方だ。 例えばカツ丼はとても美味しい食べ物なので善いと思うけど、胃の弱い人にとっては悪いものと言える。ここでいうカツ丼の善し悪しは食べる人との組み合わせによって決まるのだ。

 つまりそれ自体に善い・悪いという状態も無いけれど、うまく組み合わさるものとうまく組み合わさらないものが存在しているということ。そしてスピノザは活動能力の増減に着目して善悪を定義していて、これもまた画期的な考え方で面白い。

 AとBが組み合わさると活動能力が増大する=善
BとCが組み合わさると活動能力が減少する=悪 

先ほどはカツ丼を例にあげてしまったけど、A〜Cを人と捉えてみるとこの考え方は非常に良い点がある。AさんもBさんもCさんについてもそれぞれ自体が善い・悪いという事はなくAさんとBさんがタッグを組めば活動能力が増大する=善いという具合で、相性の問題と取れるわけだ。AさんBさんCさんの個性を殺さない考え方なのである。なので日常生活においてAさんが憎たらしいから悪いだとか、Bさんにいつも怒られてばかりで僕が悪いのかなと思ってしまう時、これは組み合わせの問題なのでは?Aさんが悪いとか僕が悪いとはいえないぞ?とお気楽に構えられるわけです。